栄光の西鉄ライオンズ
昭和31年から33年まで、天下の巨人を相手に3年連続日本一に輝いた栄光の西鉄ライオンズ。しかしそこから転落への道が開かれていた…。
黒い霧事件とライオンズ
昭和44年に発覚した、プロ野球界を震撼させた黒い霧事件。当時のエースだった池永正明投手が、その黒い霧に巻き込まれて永久追放になった。
昭和45年(1970) | ||
池永正明投手 入団以来5年間で103勝を挙げた大エースだったが、この年の5月に惜しくも永久追放処分となった。35年後の2005年にようやく処分が解除された。 |
昭和31年から33年にかけて3年連続日本一に輝いた西鉄ライオンズ。しかしその豪快かつ自由奔放な気風は、いつしかその心中に一種の驕りと増上慢を芽生えさせ、それは次第にチームを内部から深く侵して行った。昭和38年にも西鉄は再び奇跡の逆転優勝を遂げたが、よもやそれがライオンズ最後の優勝になろうとは、当時の人々は知る由もなかった。 |
|
この年のスタメン 6 菊川 昭二郎 .243 2 12 4 基 満男 .254 21 43 9 東田 正義 .233 13 48 8 A.ポインター .260 22 67 7 C.ボレス .254 28 59 5 竹之内 雅史 .231 19 40 3 広野 功 .188 9 26 2 宮寺 勝利 .224 7 24 |
河原 明 13 - 19 4.18 東尾 修 11 - 18 5.15 三輪 悟 7 - 14 2.91 池永 正明 4 - 3 2.60 中井 悦雄 3 - 0 3.24 後藤 清 1 - 5 3.60 柳田 豊 3 - 6 4.43 乗替 寿好 0 - 5 5.88 泉沢 彰 1 - 2 2.74 秋葉 敬三 0 - 3 4.38 |
昭和46年(1971) | ||
東尾修投手 後に251勝を挙げた大投手も、この年はまだ3年目。よく打たれながらも、持ち前の気性と頭脳で次第にエースとして台頭しつつあった。 |
前年エースの池永と主力投手3人を一度に失ったライオンズは、もはやプロ野球チームとしての体裁をなさなくなり、昭和46年のシーズンは昨年よりも遥かに惨めなものとなった。来る日も来る日も負け続け、思い出したように一つ二つ勝ってはまた黒星の行進といった調子だった。しかしそんな絶望的な状況の中でも、チームの中には確実に新しい芽が育ちつつあった。投手では東尾修が池永に代わってエース級の活躍を見せ、野手では東田正義に竹之内雅史が「トン・タケ」コンビとして低迷するチーム打線の中核を支えた。 |
|
この年のスタメン 8 高橋 二三男 .249 1 8 9 阿部 良男 .227 2 14 4 基 満男 .276 14 43 7 東田 正義 .284 23 58 5 竹之内 雅史 .247 10 24 3 高木 喬 .280 1 25 6 船田 和英 .179 5 17 2 村上 公康 .216 7 27 |
高橋 明 14 - 13 3.73 東尾 修 8 - 16 3.75 田中 章 4 - 9 4.17 三輪 悟 4 - 10 4.20 河原 明 4 - 16 5.45 柳田 豊 3 - 8 4.92 後藤 清 0 - 4 4.97 阪口 忠昭 0 - 1 3.06 |
昭和47年(1972) | ||
加藤初投手 5月17日にプロ入り初勝利を飾り、平和台のファンから祝福の胴上げを受ける。彼はこの年17勝を挙げ、池永以来の新人王に輝いた。 |
昭和47年依然として低迷を続けるライオンズに、また新しい希望の星が現れた。加藤初である。ドラフト外で巨人との激しい獲得合戦になったが、「強い巨人よりは弱いライオンズの方がチャンスが多い」とライオンズを選んだ彼は、その言葉通りエースの東尾と両輪の大活躍を見せ、見事新人王を獲得した。この久しい快挙は、黒い霧事件以来およそ冴えることのなかったライオンズにようやく明るい話題をもたらした。 |
|
この年のスタメン 8 阿部 良男 .256 7 26 6 菊川 昭二郎 .276 6 27 4 基 満男 .301 20 43 9 竹之内 雅史 .238 15 46 7 東田 正義 .273 9 42 3 高木 喬 .284 3 30 5 伊原 春樹 .241 7 32 2 片岡 新之介 .232 10 30 |
東尾 修 18 - 25 3.66 加藤 初 17 - 16 3.95 河原 明 5 - 12 4.31 田中 章 3 - 5 2.39 阪口 忠昭 1 - 4 4.63 三輪 悟 2 - 5 4.57 高橋 明 1 - 8 6.72 |